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おひとりさまのよもやま話思ったこと、感じたこと、買った商品のことなどよもやま話を書いています 

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愛しのフードプロセッサ

   ↑  2018/11/15 (木)  カテゴリー: 生活・暮らし
母のために、何でも細かくみじん切りや千切りをし続けてきた。
しかし、父に手がかかるようになり、私の仕事は増える一方。
なんとか楽になりたい一心で、フードプロセッサ購入の話を持ち掛けてみた。
以前、「何でもかんでも買っていたら金がなくなってしまう」と反対されしまったのだが、さすがに今回は許可が下りた。
さっそく注文し、商品が届いた。

「お金は私が払うから」と母は言っており、期待していなかったのだが無事いただくことができた。
以前、衣類乾燥除湿器を購入する際、「お金は私が払うから」と言っていたのだが、商品が届いたらなぜか激怒された。
「なんでそんなもん買うんだ!」と怒られた。
買っていいよ、って言ったの誰?と心の中で小さく呟いた。

購入したのは、前から欲しいと思って目をつけていた、パナソニックのフードプロセッサ。




みじん切り、おろし、千切り、スライス、こねる、という作業をこなしてくれる賢い商品である。
洗うのが面倒というレビューが多かったが、私にしてみればどうということはない。
何せ、ほうれん草や小松菜などの葉物は、全てみじん切りをしていたのだ。
しかも出来る限り細かくしなくてはならなかったので、まな板を叩き続ける。
ずーっと台所に立って、まな板を叩いていた。
だから、洗う作業が面倒だなんて思わない。
千切りはスライサーを使っていたが、フードプロセッサならあっと言う間。
キャベツの千切りもスライサーだったが、それなりに力を要するし、キャベツが飛び散って後始末が大変だった。
それが、これを使うことで一気に解決。



もう楽で、楽で笑いが止まらない。
勿論、使用できない食材もある。
すごく固いものや、ネバネバ系のものなど。

みじん切り用のカッター、おろし用カッターなどと、部品が多いので、置くスペースの確保も必要だ。
いらない物を撤去してスペースを開けた。

うちはやたら玉ねぎを使う。
カレーの際は、5,6個使うし、極め付けは親子丼。
3人分に3個の玉ねぎを使う。
これがボリュームが出てすごくおいしい。
玉ねぎって、いろんな料理に使う万能野菜だから欠かせない。
今までは、ゴーグルをつけて玉ねぎを切っていた。(怖い?)
皮をむいて半分に切ったら、フードプロセッサにかける。
えええぇぇぇ!と言う間にスライスができて感動した。
台所に立つ時間がすごく短縮された。

正直「もう何も信じられないし、誰も信用できない」と思っていたんだけど、これだけは信用できる。

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2018/11/15 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

絶縁状態の叔母に助けを求めるという選択肢 その2

   ↑  2018/11/13 (火)  カテゴリー: おひとりさまの悩み
叔母とは最初から「割り切った付き合い」のつもりだった。
最初というのは、20年の絶縁状態を経て、付き合いが再開してからのことである。

私のうちは、お金持ちでもなんでもない。
父はかつてかなりの酒飲みで、大枚を使ったが、母は必死で働き、辛抱して貯蓄をした。
私もそれに習い、コツコツ貯めた貯蓄がある。
借金もなく、今のところ金銭的には不自由のない生活をしているレベルだ。

叔母は、まだ家のローンを抱えている。
3番目の子供を40代で出産し、たいして成績もよくないのに2浪のうえ、3流私立大学に入学。
それも奨学金でまかなった。
でもその奨学金は使わず、金利がすごく高いところに預けている、とうそぶいていた。
「金がない」が口癖で、そのくせ新車を買ったりと(息子のだけど)、いらない見栄を張る。
しかも、ロクでもない娘がおり、たびたび金の無心をしているらしい。
だからいつまでたっても「金がない」のだ。
叔母本人は、金使いが荒いわけではない。
まあ、子供がちょっとね…という感じ。

そういう訳で、金銭的に困らない生活をしている母を、勝手に激しく妬み、憎んでいる。
私が一人でいると、しばしば母の悪態をついていた。
そういう人だとわかっていたので、適当に聞き流していた。

叔母は、根っからの悪人ではないものの、人とうまく付き合うことができない。
やはり、「人を妬む」という性分がそうさせているのだろう。

母が「叔母を利用しないか?」という話をしてから随分経った頃、肉体的にも精神的にも参ってしまった私は、軽いうつ状態に陥った。
ついこの間のことだ。

一生懸命やっているのに、毎日小言を言われる。
母はどんどん我儘になり、具合が悪いと八つ当たりをされる。
「テレビのチャンネルを変えてくれ」と頼まれることすらある。
父は言うことを聞かない。
何度行っても聞きやしない。
できないことが増え、重い物を持つのは私の役目になった。
着替えをするのに手こずるようになり、母と私が手を貸している。
私は都合のいい女(?)と化し、両親は自分でできることすら、やらなくなっていった。

こうしたことが原因で、もめることはたびたびだったが、今回の私の状態は自分でも驚くほど酷いものだった。
家を出ようをしたのだが、荷物を隠されてしまった。
逃げ場を失った私は、どうやって死のうかと考えたり、近所に響き渡る声で泣き喚いたりした。
母はかなり慌てたようだ。
私が寝込んでしまったものだから、皿洗いをして皿を割ったり、米を研いでご飯を炊いたものの、水の加減がわからず、やたら固いご飯になってしまったり。
勿論洗濯機の使い方など知らないので洗濯物はどんどん溜まった。
2人とも足や腰が悪いので、洗濯物を運んだり、干すこともできない。
せめて雑用でもやってくれたら助かるのだが、父は気が利かず、母は具合が悪いと言って寝ていることが多い。
私の負担は急激に増えてしまい、許容範囲をはるかに超えていた。

「無理してやらなくていいから」
2人揃っていつもそう言うが、じゃあ一体誰がやるというのか?

話合いの場がもたれ、収集がつかなかい場面もあったものの、「地域包括センターに相談する」ということになった。
「今は混乱しているから、落ち着いたら」ということで話がついた。
私は正直、行政のサービスには期待していない。
ただ、2人とも少なくとも介助申請は通るはずだし、何かあったら相談できる窓口ができる。
それだけでも、私の精神的な負担は軽減されるだろう。

と思っていたのだが、介助申請が通ったとしても、物理的な負担は減らない、ということにすぐ気づいた。
完全に介護状態になれば、介護申請をして、少しでも人の手を借りた方がいいと思う。
でも、今の状態では「焼石に水」といった感じだろう。
しかも、ちょっと込み入った話をしようとしても「具合が悪い」と言われてしまう。
そうやっていろんな話が流れてしまった。

かと言って、母は叔母と連絡を取る気もないようだ。
たぶん、よほどのこと…何かしらの大きな病気になったとか、そういう時に頼む気なのかもしれない。

母は「できることは自分でやる。頑張って1日1日を生きる。いいおばあさんになる。」と言っていた。
そして、私の状態も落ち着いていった。
最初は余計なことを言わぬよう気をつけていたようだが、3日経ったらまた小言が始まった。

とにかくダイニングキッチンで寝るのをやめてくれたら、相当楽になるんだけどな。
布団をいちいち運んで敷いたりあげたりせんでも、ベッドがあるのだからそこで寝ればいいのだ。
「寒い」だの「トイレが遠い」だのと我儘なのである。
自分らでできるのであれば、仕方ないけど、父が布団すら運べなくなり、私が手伝うしかなくなってしまった。
朝7時に起きる私が、階下に降りたらまだ布団が敷かれている状態、なんてことが多くなった。
まず布団をかたさないと、朝の支度ができない。
そして夕方5時半にはまた布団を敷く。
この超短い時間の間におさんどんをし、洗濯、買い物、掃除をしなくてはならない。
休憩を取ってもくたくたになってしまう。
それは私がふがいないからなんだけど…
父のように、何を言われてもどこ吹く風で、やりたくないことは意地でもやらない、を実践すれば楽になることだろう。
でも、普通の人間ならそれはできない。

論点がずれたが、母が叔母と連絡を取ることに対して、物言いを付ける気はない。
ただ、私が自ら、ということはありえない。

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2018/11/13 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

絶縁状態の叔母に助けを求めるという選択肢 その1

   ↑  2018/11/11 (日)  カテゴリー: おひとりさまの悩み
父も母も、自力で食事と排便はできる状態だが、物事をするのにあたり、ほぼ私の手を借りなくてはならない状態である。
2人とも、立ち上がるということが、一番面倒らしい。
私がいるから、「あれとって、これとって」と頼めるわけだが、それが果たして本人のためになるのかどうか、わからなくなってきた。
そのうち、2人とも、動けなくなるだろう。
体調がすぐれないことも多い。
特に、母に至っては毎日のごとく、体調が悪い。
どちらか1人が、ちゃんとしていたら、なんとかなりそうなものだが、私が1人でこの2人の面倒をみることは到底無理だ。

頭の中をよぎるのは、「最悪のこと」ばかり。
一生懸命やろうと思っても、体と心がついていかない。
無理をすれば必ずツケが回ってくる。

このままだと、いつか、というより、近いうちに倒れるだろうな…
そう思っている。

ある日母がこう切り出した。
「怒らないで聞いてほしいんだけど…」
何かと思ったら、叔母(母の妹)の話だった。
「あんたの気持ちもわかるけど、割り切って、利用しないか?」

絶縁状態にある叔母に、割り切って助けを求めよう、ということだ。

4年前のある日の夜、叔母から私の携帯に電話があった。
母の悪口をさんざん言いまくり
「あんたはいじめられている、だから私のうちに来い。
病院にも連れていくし、おいしいものも食べさせる。
背中に薬も塗ってあげる。
夜中に迎えに行くから、私のうちに来い。」
一見意味不明のように思えるが
「あんた、金、いくら持ってるの?」と聞いてくる。
つまり、金目当てで、私に来いと言っているのだ、と私は解釈した。
そして、言いたいだけ、言って、ガチャンと電話を切った。

そんなことがあったというのに、数日経って、叔母は何事もなかったかのように、うちにやってきた。
3回くらい来たのだが、幸い私は病院へ行っていたり、自室にいたりで、顔を合わせることがなかった。

だが、とうとう鉢合わせの時がやってきた。
母はトイレに入っており、父は外出しており、私だけがいた。
バターン!と玄関があく音がして、ドスンドスンと音がした。
叔母はいつもそうやって、勝手に人に家に上がり込んでは、自分の家のように振る舞う。
そういう道徳心のないところが一番嫌だった。

「ふうちゃん、おはよう。」
いつもそんなことは言わないのに、叔母は私にそう言った。
「おはよう。」と言ったのだが、聞こえなかったのか
「ふうちゃん、おはよう。」
また言ってきた。
だから、また「おはよう。」と言った。
さらに「誰もいないね。」と言われたので
「そうだね。」
そう言って、そそくさとその場を離れた。

それから叔母は、ぷつりとうちに来なくなった。
両親には叔母からの電話の件を話した。
2人とも笑っていた。
「あれはバカだから気にするな。」
そう言われたが、私の怒りはすさまじいものだった。
殺意に近いほどの気持ちが沸き、それが消えるまで、2年かかった。

母は私を諭したが、やはり怒りがあったのだと思う。
母もまた、自分から叔母に連絡しようとはしなかった。
だから断絶状態となったのだ。

叔母との断絶状態は、これが初めてではない。
何度かそういう状態になっており、一番長い時で20年だった。
祖母が亡くなり、遺産相続の件で母が連絡を取ったことがきっかけで、またうちに出入りするようになったのだ。

母には「そういう選択肢もあると思うけど、向こうがどう思うかだよね。」
そうとだけ、言っておいた。
だいたい、叔母がなぜ、うちにぷつりと来なくなったのか、理由がわからない。
そして、母がどう叔母に話しをするつもりなのかわからないが、向こうが「はい、そうですか」と言うものかどうか?

その他もろもろあるけれど、私はどうしてもこの叔母に、頭を下げるということはできない、と思っている。
でも、親のためであり、自分のためでもある、と考えると…
どうやって割り切ったらいいのか、考えあぐねている。

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2018/11/11 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

抗うつ剤の副作用と減薬に苦しんだ日々

   ↑  2018/11/09 (金)  カテゴリー: うつ病のこと

「薬を減らしましょう」と言わない主治医



診察のたびに、私は外出を楽しんでいることを、主治医に話していました。
そうすると、「よくなっている」と判断され、
「薬を減らしましょう」と言われると思ったのです。
ですが、主治医から減薬の話は一向に出てきません。

そうこうしているうちに、だるさ、立ちくらみ、酷い眠気などの
明らかに副作用と思われる症状が出始めました。
主治医に強くそのことを話したところ、ようやく減薬の話が出ました。
ですが、主治医は抗うつ剤を2錠減薬するよう指示したのです。
その指示に従った結果、酷い離脱症状が出て、薬を元に戻しました。
向精神薬は少しずつ減らさなくては離脱症状が出ます。
少しずつ減らしても、離脱症状に苦しむ場合があります。
その後、減薬のことを調べるようになり、手探りで薬を減らし始めました。

苦しかった減断薬と副作用



抗うつ剤を2種類服用していたのですが、
最初に断薬した薬の離脱症状は酷いものでした。
減薬では酷い焦燥感が出て、
それは抗不安薬で抑えるという手段をとったのですが
断薬では、2か月寝たきりになりました。
体に力が全く入らなくなり、起きていられないのです。
また、最初の1カ月は幻聴に苦しみました。
それが2か月経ったある日「あれ?なんともない」
となったのです。
そして、「なんて恐ろしい薬を飲んでいるのだろう、やめなきゃ」
そう思いました。

ネットで調べてみると、私と同じように薬を多剤処方され、
自分で減断薬しようとする人や、「向精神薬はよくないからやめよう」
という考えのもと、断薬に取り組んでいる人達で溢れかえっていました。
でも調べれば調べるほど、「減薬は苦しい」という意見が出てきます。
一方、バッサリやめても離脱症状がなかった人
医師の指示どおりに減薬して、苦しむことなく薬と離れた人…
どうも人それぞれで、「こうすればいい」という正解はないようです。
それに、これ以上調べたら怖くて減薬できないと思いました。
よって、減薬や離脱症状について調べるのはやめて、自分の体の調子を見ながら手探りでやっていくしかないと考えたのです。

それ以降、独自の減薬をしていきました。
「断薬」という目標をあえて掲げず、とにかく減薬を積み重ねていく、という選択をしました。
もう1種類の抗うつ剤は、離脱症状が少ないようだったので、
かなりの量を減薬したところ、やはり2か月寝たきりになりました。
それからは慎重に、少しずつ減らすことを心がけました。
ピルカッターで半分、1/4にカットしたこともあります。
そうやって気の遠くなりそうな作業を繰り返しました。

薬を減らしても副作用の方が強く出る



ですが、薬を減らせど減らせど、体が重く、気力がなく、テレビを見ながら寝落ちしてしまう状態になってしまっていました。
症状はうつ病の症状に酷似していますが、違ったのは落ち込み感や不安感などの精神症状がないこと。
これが副作用なのか、その時は定かでなかったのですが、薬を飲んでも効果がなかった私には、もはや薬は無用でした。
だから減薬を続けたのです。

幸いなことに、主治医は薬を勝手に減らしても何も言いませんでした。
やぶ医者だとわかっていても、主治医を変えなかったのは、「都合のいい医者」だったからです。
下手に転院をすれば、減薬の妨げになる可能性があると思い、やぶ医者を選びました。

抗うつ剤もたくさん飲んでいましたが、睡眠導入剤も6錠飲んでいました。
これは、抗うつ剤の副作用で眠れなくなったと解釈していましたので、抗うつ剤をある程度減らしたら、次は睡眠導入剤の減薬、と交互にやっていきました。

何年もかかって抗うつ剤断薬へ、そして体が軽くなった



抗うつ剤をあと少しで断薬できるという、カウントダウンの状態に入った時は、1錠減らすごとに、体が軽くなる感じがありました。
この段階で、ようやく私は自分が副作用で体調が悪かったことを確信したのです。
最終的に睡眠導入剤1錠のみ、というところまでいったのですが、更年期で不眠やイライラが酷くなったことで睡眠導入剤は2錠、抗不安薬は頓服で処方、という形に収まりました。

もともと1日30錠ほどの薬を飲んでいたわけですから、自分でもよく頑張ったと思います。
たった一人で、誰にも相談せずに、推し進めてきたわけですから。
減薬記録は残してあるのですが、思い出したくないので、見ることもありません。
ここまで薬を減らすのに、たぶん5、6年かかっています。
それだけ長い期間、私は薬の副作用と離脱症状に苦しみ、無駄な時間を過ごしてしまいました。
途中からは、副作用なのか、離脱症状なのか判別がつかない状況になっていましたけど。

完全断薬には至っていませんが、あれだけ大量に飲んでいた薬をここまで減らすことができて、本当によかったと思っています。

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2018/11/09 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

跡継ぎがいないので、永代供養の相談をしてみた

   ↑  2018/11/07 (水)  カテゴリー: 親の終活
先日墓石に魂入れの儀式を行った。
その際、住職が優しく
「わからないことがあったら、何でも遠慮なくおっしゃってください。」と言ったので、お言葉に甘え、相談してみた。

「あの~、私の代で終わりなんです。
だから、こうしてお墓を建てたものの、どうしたらいいのか、解決する手立てはありますか?」

墓地を購入するまで、永代供養墓にするしかないだろうと思っていた。
でも、両親はこのお寺に墓地を購入し、墓石を建ててしまった。
正直、私の負担を考えていないのだろうか?という疑問もあった。
最近、子供の負担を考慮して、散骨を希望する人や、その他の方法を選択する人が多いらしい。
でも、「散骨は嫌~、墓石はそこそこ立派な方がいい」とか言って、このようになった。
困ったのは私だ。
このお墓、私がいなくなったらどうするよ?

だから、聞いてみたのだ。
父の実家も,このお寺の檀家になっている。
まずはその関係と交流はないかと聞かれた。
「ありません」と答えると、
「そうですよね、迷惑はかけられませんよね。」
管理費用は年4.000円だ。
以外と安い。
これを前払いしておく人もいるそうだし、身寄りのない人が亡くなった後、親戚が可哀想だから、と管理費用を払っているケースもあるようだ。

さらに突っ込んで話を進めて行くと、永代供養もしてているらしい。
そして、このお墓に3人が入り、永代供養をしていただくことは可能か?と尋ねたところ、可能です、と。
後は料金の問題だろう、要相談という形になるらしい。
「今開眼したばかりですので、ゆっくり考えましょう。」と住職は去って行った。

お墓の掃除をしていた私達のもとに、再び住職がやってきた。
作務衣姿だった。
そして、封筒を私に差し出した。
「永代供養の参考価格が記載されています。あとは写経なども行っておりますので、そのご案内も入れておきました。」
ありがたく押し頂いて、帰宅。
開けてびっくり。
永代供養、1霊百万円也。
夫婦セットで、百五十万円也。

夫婦セットに私が加われば、いくらになるんだろう?
しかも、私はこのお墓に入れるのかどうか、定かではないのだ。
それはおいおい考えるとして、母に聞いてみた。

「死んで50年も経ったらもういい、管理費用50年で20万円でしょ?
それ払って、後は別の場所に埋葬されるだろうけど、ちゃんと扱ってくれるんじゃない?」
それは無縁仏になるということなのだが、わかって言っているのだろうか?

もう一度、そのあたりをきちんと確認しておかないと。
永代供養に何百万も払えない。
生きることにお金を使った方が、有効なのではないかと、私は思う。

副住職からいただいた、「永代読経のご案内」には
春秋の彼岸・お盆・施餓鬼の年四回、及び、五十回忌までの各回忌までの法要回向を行います。
また、ご遺骨のこともご相談ください。

と記載されている。
ということは、その後どうなるのかは定かではない。

母に再度聞こうとしたが、「具合が悪いんじゃあ!」と受け付けない。
このまま大事なことを何も話せないまま、死なれたら困るんだけどな。
たぶんそうなるんだろう。

核家族化が進んだことも相まって、どのお墓も、無縁仏になる可能性が高いのだと言う。
今は子供がいても、その後が続くのか…ということを考えると、おひとりさまでなくとも、いずれはどこの家庭でも、この問題と直面することになるようだ。

たぶん私は、管理費用前払いという選択をすると思う。
先祖代々の墓ではないし、そうなることは両親も承知のうえだろう。
亡くなってから、50年ほど、ちゃんとしたお墓に入れれば、それでいいだろう。
手を合わせる人も、掃除をする人もいないけれど。
事情は事前に話しておいたわけだから、落ち葉を払うくらいの掃除はしてもらえるのではないだろうか?

写経は興味があるのだが、今は余裕がない。
一人になったら、行ってみたいと思う。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

昨日、すったもんだがありまして。
へとへとになるまで世話をしているのに、毎日毎日小言を言われるものだから、キレてしまい、荷物をまとめて出て行こうとしたら、荷物を隠され…
私は逃げることもできないのかと…

ふと、あの墓に先に入った方が、いろんな悩みや心配ごとから解放されるのでは?
と思ってしまった。

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2018/11/07 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

墓石に魂入れの儀式を行った、その一部始終

   ↑  2018/11/05 (月)  カテゴリー: 親の終活
9月に我が家の墓石が完成した。
その際、石材屋さんから「魂入れをするように」と言われた。
初めて聞く言葉に「何?それ?」と、戸惑った。

魂入れとは


新しくお墓を建てた時や、仏壇を購入した時等に、営む儀式。
開眼供養という呼び方もあるようだ。
魂を入れる儀式を行う事によって、ただの物体だった墓石や仏壇が、手を合わせる対象になるとのこと。
納骨の際にやる場合もあるようだが、これは亡くなってから墓を建てた場合だろう。
お供え物を用意して、読経をしてもらうだけだが、用意するものや、お布施の代金はそのお寺によって違ってくる。


とりあえず、線香、ろうそく、マッチを買ってきてくれと母に頼まれ、どんなものがいいのかわからないまま、なんとか買ってきた。
石材屋さんからは、魂入れの際、墓石を雑巾で拭いてあげて、と言われていた。
ブラシを使うと傷がつくので、雑巾がいいのだそうだ。
最後は乾拭きして仕上げるのがいいとのこと。
「雑巾はどうしよう?」と母が聞くので、「いや、今普通に売ってるから、それがいいんじゃない?」と、それも買っておいた。

だが、母の体調が酷く悪かったり、なんだかんだで、あっと言う間に10月の下旬になってしまった。
母の体調は相変わらずすぐれないのだが、それはいつものこと。
だが、「私の具合が悪いのは、魂入れをしないからだ!早くやれっ!」といつものごとく、こじつけのようなことを言い出し、父はお寺と連絡を取った。
そして、11月吉日、魂入れを行うことに決まった。
「必要なものを持ってきてくれれば、あとはこちらで並べますので」と言われたそうだ。

魂入れに必要なもの


用意するように言われたのは
『米1キロ、塩1キロ、花、昆布、赤い魚2匹、大根、ほうれん草、人参、するめ1枚、ろうそく、線香、お布施2万円』
せいぜいお菓子と花程度だと思っていたので、驚いた。


赤い魚の確保でてんやわんや


困ったのは、「赤い魚」だった。
当然尾頭付きの鯛だと思い、スーパー2件に電話をかけたのだが、1件は扱っておらず、もう1件は、日によって捕れる時とそうでない時があるので、必ずしも用意できるとは限らない、と言われた。
そこで、私は市民市場に問い合わせたらどうか?と提案した。
しかも配達までしてもらえる。
必要なものを一緒に頼んで、配達してもらった方が楽ではないかと考えたのだ。

市場に鯛はあるかと問い合わせたら、やはり毎日あるものではないので、難しいとのこと。
そこで一旦、住職に相談した。
「赤い魚ならなんでもいい」とのことだった。
でも、赤い魚って言っても、鯛と赤魚と…赤魚って切り身しかないし、あ、キンキは?

そして再び市場に電話。
準備可能だが、1匹3千円程度すると言われた。
仕方がないので、依頼した。
キンキの煮つけ、おいしいんだよね、昔食べたっけ。
いつの間にか、こんな高級魚になってしまった。
でも、何分お寺に奉納するものだから、ケチることができない。
花は近所で買えるので、それ以外のものを全部注文した。


母はあっちこっちに電話をかけまくって、ぐったりと疲れていた。
私はずっと台所に立っていたのだが、話を聞いていただけで疲労を感じた。

お供え物でこんなにかかるとは


で、注文した商品が届いたのだが、全部で8.800円。
キンキ2匹で6.000円なのだが、その他のものも高かった。
スルメが1枚1.000円。
こんなでかいのいらんわ、というものだった。
昆布も最高級のものを持ってきた。
野菜はあらかじめ「スーパーよりは高いですけど、質はいいです」と聞いていたのだが…
実際見たら、スーパーで売られているものとたいして違わないうえ、ものすごい値段だった。
私はこれらの商品が配達された時、買い物に行っていたので、詳細は知らない。
スーパーの値段+100円くらいのようだ。
今回は仕方がなかったけど、もう利用することはない。
高すぎて買えやしない。

魂入れの儀式の流れ


約束の日の当日、荷物を持って、私と父はタクシーでお寺へ向かった。
幸い晴天で、暖かい日だった。

お寺に到着し、用意したものを渡すと、応接間に通され、待っているように言われた。
父は「忘れてはいけないので」と先にお布施を渡していた。
お菓子がおいてあったので、食べていたら、お茶が運ばれてきた。
妙に若い住職だな、と思ったら、父の話では「あれは副住職で、親子でやっているみたいだ」とのことだった。

しばし待っていると、「準備ができたのでお墓の方へどうぞ」と呼ばれた。
私は初めて来て、初めて見たのだが、想像以上に立派な墓だった。
写真では見ていたが、周りの他家のものと見比べても見劣りしない。
そこに、持参したキンキや野菜などが供えられていた。

まずは、水道のある場所を教えていただく。
桶とひしゃくもあったし、ほうきなどの掃除用具なども置いてあった。
そこで水を汲み、墓へ戻る。
花を添える部分に溜まった水を捨てて、新しい水を入れ、花を飾る。
今回持参した花にはついていなかったが、フィルムなどがついている場合は外してくださいとのこと。
それから線香とろうそくに火を灯す。
線香はバラのものを準備したのだが、束の方がいいのだそうだ。
束のものは、綺麗に燃えるのだが、バラの場合は、中途半端な燃え方をして残ってしまいがちなのだそうだ。

そして読経が始まった。
結構長かったと思う。
ひとしきり読経した後、一人ずつお焼香を、と言われ、それぞれお焼香をして、手を合わせた。
それからまた読経が始まり、正確な時間はわからないが、10分程度で終了。
「このお供え物はどうしますか?」と聞かれた。
「持って帰られる方もいらっしゃいますので、この鯛などはどうされますか?」
(いや、鯛じゃなくてキンキだから。)
心の中でツッコミを入れ、持って帰る人もいるんだ~とびっくりした。
父は「いえ、お供えしたものですから、置いて行きます」と答えた。
偉い!
これで儀式は終了した。


住職、副住職の奥さんたちが片付けている間、しばしお話しをした。
我が家のお墓には大きく「南無阿弥陀仏」と彫られている。
「南無は助けてください、という意味です。阿弥陀様、助けてくださいという意味なんですね。
浄土宗のお墓にふさわしい、いいお墓だと思いますよ。」
穏やかな表情で、穏やかな話し方をする住職だ。
「何もわからなくて…」と言うと
「最初はみなさんそうです。わからないことは何でも遠慮なくおっしゃってください。」

そう言われたので、私は最も気になっていたことを相談するに至った。
それは、また次の機会に書こうと思う。

父は、住職は威圧感があるので、何かあったら副住職と話した方がいいな、と言っていた。
私もそうしようと思う。
すごく優しかった。
強面の住職が出てきたら嫌だな、と思っていたのだ。

お供え物が片付けられた後、掃除をした。
うちのお墓はスタンダードな縦長のものだ。
だから、上にあがらなくてはいけない。
最初に水をかけてしまったので、滑りそうで怖かった。
「掃除は危険なので、1人ではなく、2,3人で来るようにしてください」
そう言われたけれど、一人しかいないんだよね…
お墓の掃除代行というのもあるので、そこは心配しなくてもいいかな?
あまり汚れていないので、大変ではなかったが、次回は結構大変かもしれない。

これで、無事、魂入れが終わった。
でも、同時にこの墓を、私が生きている間、守らなくてはならないという重圧も感じている。
最近重圧だらけで、押しつぶされそうになっている。

そのうち、ぺっちゃんこになるかもしれない。
大丈夫かなあ?

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