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このページの記事目次 (カテゴリー: 親のこと

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父、病院を変えて別の診断が下される

   ↑  2018/09/04 (火)  カテゴリー: 親のこと
父について、いくつかの記事を書いてきましたが、一つ判明したことがあります。
母が通院している整形外科を受診した結果、それまで通院していた整形外科とは全く違う診断が下されたのです。
それまでは、「老化です」と言われていました。
そして、湿布を処方され、「レーザー治療」をやらされていました。

1カ月に1度は、診察と称して、先生と面談するのですが、ほとんど話はしないそうです。
何のための診察なのやら。

父は、腰の骨が曲がっており、それが原因で腰に痛みが出たり、足に力が入らなかったのです。
手は、腱鞘炎。
本人は何も言わなかったのですが、痛みがあるため、着替え等に時間がかかっていたようです。
シャツやパンツのゴム部分に便がついていたのも、腕がスムーズに動かないからだと思います。
(でも、そのことに気が付かないのは問題ですね)
最初は母と同じく、注射をされたそうです。

私と母は「なにか悪い病気なのだろうか?」と心配していました。
本人もたぶんそうだったでしょう。
伯父の件も重なって、考え込むようになっていたのだと思います。
原因がわかって、この件に関しては、安心しました。

父は、握力が著しく低下し、ペットボトルのフタも開けられなくなってしまいました。
箸をうまく使うことも、できなくなってきています。
つかもうとして、落とすのです。
箸だけではなく、いろんなものを落とします。

2度目に受診した際、母がこと細かく父の様子について、先生に話した結果、「ちょっと薬で様子を見てみましょう。」と薬を処方されました。
運動機能の改善をする薬です。
これで少しでも、よくなるといいのですが。

「歩いた方がいい」と言われたようですが、歩くのを嫌がります。
特に暑くなってからは。
体調も芳しくないようです。
体力も低下していますから、暑さで参っているのでしょう。
私もそうですから、仕方がありません。

それにしても、整形外科は極端です。
病院によって診断が全く違うのですから。
でも、いい先生と巡り会えて、よかった。
通院して、これ以上悪くならないようにするしかないのですが、両親とも「筋力低下防止のため、ある程度は動くように」と指導されています。
しかし、2人揃ってその気はないようです。

それじゃあ、動けなくなる日が近いじゃん… 
寝たきりになっちゃうのかな?

覚悟をしておいた方がいいようです。
でも、二人とも揃って寝たきりになってしまった場合は…

介護疲れ

困ったものです。(´・_・`)

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2018/09/04 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

介護用呼び出しチャイムを買った訳

   ↑  2018/08/18 (土)  カテゴリー: 親のこと
我が家には10帖のダイニングキッチンがあります。
昔はそこにテーブルと椅子があり、そこで食事をとっていました。
夕食を終えると、それぞれが別の部屋でテレビを観る、そんな生活でした。
ふと覗いてみると、全員同じ番組を観ていたということもあります。
父も私も仕事をしていましたし、ダイニングキッチンはあくまでダイニングキッチンでしかありませんでした。

ダイニングキッチンを畳み敷きにリフォーム

10年以上前のことだったと思います。
その部屋に畳を敷き、テーブルと椅子を撤去し、低いテーブルとテレビを置き、ダイニングキッチン兼リビングとして使うようになったのは。
私は一切関与していないのでなぜそうしたのか不明ですが、家族全員が家にいるようになったので、普段はそこで過ごすようになりました。
キッチンのあるリビング、といった感じです。

ダイニングキッチンに布団を敷いて寝る両親

そこまでは問題がありませんでした。
ところが、4,5年前から両親はそこに布団を敷いて寝るようになってしまったのです。
冬は寒いからと言ってストーブをつけたまま寝るのです。
ちゃんと寝室にベッドがあるのですが、そこには寝ず、えっちらおっちら布団を運び、敷いています。
2組布団を敷かれたら、歩くスペースはありません。
しかもうちの夕食は4時半と信じられないほど早く、そのため5時半に布団を敷いてしまいます。
喉が渇いてもキッチンまで行くことも、冷蔵庫を開けることもできません。
両親を踏んづけて行くしかないのです。
水筒に白湯を入れておくようにしているので、それはいいのですが…

自分達で布団を敷くことができなくなった

最初は自分達で布団を敷いていた両親達でしたが、徐々に体が弱り、私が手伝わざるを得なくなりました。
以前から「この部屋で寝るのはどうかと思う」と、私は苦言を呈しておりました。
その都度「そのうちなんとかするから」という返事が返ってきます。
「寝室にエアコンをつけるから」と。
でもいつまで経ってもなんとかする様子がないのです。
そのうち「どうせもうじき死ぬんだから」と開き直るようになりました。
どうやらずっとダイニングキッチンで寝るようです。

そのやたら重い敷布団だけはなんとかして!

私は諦めることにしました。
しかし、両親の敷布団の重さには辟易していました。
一体何キロあるんだ?という昔ながらの敷布団です。
そのうち全部、私が一人で布団を敷くことになることを考えた場合、これだけはなんとかして欲しいと思ったのです。
そこで「軽い敷き布団に変えて欲しい」と依頼した結果、軽い敷き布団を買い、随分楽になりました。
それまで使用していた敷き布団は無事、粗大ゴミに出しました。

なんだかんだ理由をつけて寝室に戻らない

ところで両親は暖かくなると、ベッドのある部屋へ戻っていたのですが…
「トイレが遠い」
今度はそう言いだし、やはりダイニングキッチンで寝ています。
ただし、父はいびきが酷く、そのせいでたびたび母が迷惑を被っているため、父だけ別の部屋で寝るようになりました。
やはり「トイレが遠い」という理由で寝室ではなく、トイレに近い部屋で寝ています。
1組布団が減ったので歩くスペースができました。
寒くなるまでの間だけですが。

昼もダイニングキッチンで寝る母

母は夜「父のいびきがうるさい」「寒い」「暑い」などと睡眠が取れないことがほとんどです。
また、「具合が悪い」と言い、昼もダイニングキッチンで寝ています。

このことは、台所での作業に支障をきたすことがしばしばで、不条理な目に合うことも多々あります。
今日、母は、朝食後に眠ってしまい、昼近くになっても起きる気配がありませんでした。
オクラを湯がいておき、母が起きたら切ろうと思って待ちました。
しばらくして、母が起きだしたので、オクラを切りました。
オクラは歯が悪い母のために、細かく切らなくてはなりません。
まとめて湯がいて細かく刻み、冷凍しておくのです。
その時は何も言わなかったのですが、夕方になって急に「人が具合が悪くて寝ているのに、ガタガタ煩くて耐えられなかった」と文句を言い始めました。
「起きてから切った」と何度言っても「違う、私が寝ている時だ」と言い張る母。
こんなことはたびたびですが、慣れるということはありません。
台所で寝ている人の方が、明らかに悪いと思うのですがねえ。
「なぜ私は怒られているのか?」常にその疑問を抱きながら生きている次第です。

腰が悪い母のために介護用チャイムを購入

ここで一つ問題が発生。
母は腰が悪く、立ったり座ったり、歩いたりということが厳しい状況です。
また、夜になると具合が悪くなり、何度も血圧を計ることが多々あります。
ちょっと父の手を借りたいという時どうするか?
ということになりまして、ナースコールのようなものはないものかと、父が言い出しました。
今は何でもある時代です。
たぶんあるだろうと思って探してみたところ、あっさりみつかりました。
レビューを見たら、介護用として使用している人がたくさんいました。

早速注文し、使うようになりましたが、父が爆睡し、耳も遠くなっていることから「鳴らしても来ない」と母が怒っていたため、チャイムの音を大きくしました。
今は問題がないようです。

最近では、「あんたが2階にいる間に、2人とも死んでたらどうするんだ?」と意味不明のことを言い出しました。
だから昼間、自室にいる際は、受信機を持っています。
なぜか夜は何も言いません。
(なぜだ?)

受信機


便利なものがある反面、たいしたことのない用でいちいち呼び出され、困ったなあ、と仕方がないなあ、が混在している次第です。



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2018/08/18 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

伯父が倒れたことで、さらに父は様変わりしていった

   ↑  2018/07/30 (月)  カテゴリー: 親のこと
3月中旬のことでした。
従弟のH君から電話がきたのは。
H君とは、少なくとも成人してからは一度も会っていません。
父に用がある、と言うので、電話を代わりました。

しばし、話をしていましたが、その内容は、「サ高住」に入居していた伯父が、倒れて入院している、とのこと。
脳梗塞とか、脳出血とか、正確にはわかりませんが、その類だそうです。
倒れているのを、職員の方が見つけたのだとか。

H君は、「今は話もできないから、落ち着いたら連れて行ってあげる。」と言ったそうです。
ところが、いつまで経っても連絡がないので、こちらから電話をして、伯父のところへ連れて行ってもらいました。
伯父は、ただ横たわっていたそうです。
こちらの言っていることは理解できるようだけど、話ができないので、どこまでわかっているのかがわからない、と。

後日母も行きました。
そして、その後どうなったのか?と電話をしたのですが…
H君のお嫁さんの、S子さんが「今、手が離せないので」の一点張りだったとのこと。
「忙しい」とか「手が離せない」とか言うのは、嫌な電話を断る口実としてよく使われます。

それまでS子さんのことを、「いい子だよ」と言っていた母は、その件で一変しました。
「失礼だ」と。
伯父が倒れたことを知らせてきておいて、その弟である父が心配して電話をしているのに、その態度は何事だ、というようなことを言っていました。
どういう解釈をしていいのか、わかりかねますが、こちらから電話をしてはいけないのだ、ということだけはわかりました。
それ以来、こちらから電話は一切していません。

H君から電話があったのは、それから2週間以上経った頃でした。
退院して、某施設に移ることにした、サ高住にいる叔母は、一人部屋に移ったとのこと。
「若いものは何を考えているのかわからないけど、弟が兄に会いに行って何が悪い」
伯父が入居している施設は、近くにあり、バスで行けるので、父は一度会いに行きました。

「いくらか歩けるようだ、喋ってはいるが、何を言っているのかわからない」
リハビリをしたとて、伯父はもう86歳です。
若ければ、体力もあるので、回復していくのでしょうが、もう無理ではないかと、両親は話しています。
そして、かなり痩せていたとも。

実際、伯父はピンピンしていました。
私の父よりも、はるかにピンピンしていました。

仲がいいわけでもなく、「子供の頃から嫌いだった」という兄の、想像もしなかった姿に、父は動揺を覚えたのでしょう。
3月以降の、様変わりの仕方は、非常に激しいものでした。
どう表現したらいいのかわかりませんが、一気に老けて(中身が)魂の抜け殻のようになってしまいました。
よぼよぼのおじいさんのような感じです。

でも、父はおぼつかなくても、自分で自分のことをできる状態です。
人の名前もスラスラ出てきます。
ゴミ出しもやっています。
一人でバスに乗ってでかけることもできます。
伯父にはできなくなってしまったことが、まだたくさん、たくさんできるのです。

ただの老化なのか、認知症の初期症状なのか、ショック状態なのか、わかりません。
今の状態を維持していけるよう、サポートしていかなくては。
でも、理解できないこと、苛立つことが、たくさんあって、戸惑うばかりです。

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2018/07/30 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

免許返納でさらに父は変わった

   ↑  2018/07/28 (土)  カテゴリー: 親のこと
父が免許を返納したのは、去年の6月のことでした。
高齢者による自動車事故が、多発しているため、私と母とで説得して返納させたのです。

その後、張り切って自転車を買いに行ったのですが、数回乗って、やめてしまいました。

転んでしまったらしく、それ以来「怖くて乗れない」と言うようになりました。
もともと歩くということが嫌いで、家から歩いて3分のところにも、車で行くような人でした。
それでも車で出かけて、スーパー内なり、病院内なり、ほぼ毎日少しは歩いていたわけです。

それに、外出は父にとってリフレッシュにもなっていたようです。
買い物は頭の体操。
それが、徒歩で行かなくてはならなくなってしまって、外出したがらなくなりました。
正確に言えば、最初のうちは頑張っていたのですが、スーパーの宅配を利用することが増え、瞬く間に足腰が弱り、冬になるころには、家の中で転ぶようになってしまいました。
握力もなくなり、ペットボトルのフタが開けられないこともあります。
箸でものを掴むという動作も怪しくなってきました。
箸が持てなくなったら、昔給食で使っていた「先割れスプーン」がいいんじゃないかな、と考えています。

徐々に私の仕事が増えて行き、私の体調回復と同時に、どんどん父が衰えていくように思えました。
なんだか「気力がなくなってしまった」ようにも見えます。
今では、私が家事のほとんどを担うようになったため、考えるということをしなくなり、「忘れること」が多くなりました。
買い物も私がほぼしているのですが、パンやヨーグルト、その他軽いもの、だけはあえて知らん顔をしています。

案の定、忘れて、慌てて買いに行ったことが何度かありました。

動作も遅くなりました。
もともと遅かったのですが、さらに遅く。
着替えなどもイライラするぐらい、時間がかかるようになりました。

足に力が入らない、と言うので、整形外科を受診したら、「老化です」と言われ、湿布を出されるだけ。
レーザー治療のようなものを勧められたのですが、歩いて行くのを嫌がって、今ではほとんど行っていません。

この辺りのことは「老親との接し方に戸惑う日々」に詳しく記載してあります。

そして、この頃から、認知症の初期症状を疑うようになった次第です。
まあ、そうかと思えば、しっかりしている時もありますので、何を判断基準にしていいのかわかりません。
一応、自立した生活ができているので、病院へ連れていくわけにもいかないですし、そもそもどこへ行ったらいいのかもわかりません。

頭を抱えている次第です。

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2018/07/28 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |

伯父のサ高住入居から父は変わり始めた

   ↑  2018/07/25 (水)  カテゴリー: 親のこと
3年前のちょうど今頃、父の兄、すなわち、伯父が訪ねてきました。
「サービス付き高齢者住宅に入居することになった。」
そのことを伯父は知らせにやってきたのでした。

すぐ近くに住んではいるものの、ここ数年は、目立った付き合いはありません。
昔いろいろあって、絶縁状態だったこともあります。
しかし、母の懐の深さから、少々行き来するようにはなっていました。

私はこの伯父が苦手で、亡くなった祖母にも全く可愛がられなかったこともあり、関わらないようにしています。

数年前まで、母は時々伯父の家を訪ねていました
そしてこんなことを言うようになったのです。
「叔母の様子がおかしい。」と。

話をしていると、叔母が突然、とんちんかんなことを言い出すのだそうです。
しかし、すぐさま伯父が駆け寄ってきて
「K子は耳が聞こえないから。」と言うのだそうです。

それが何度も繰り返されるので
「おそらく認知症なのだろう」ということになりました。
でも、伯父はそのことを、どこまでも隠し通すのです。
とっくにバレているし、認知症は、誰もがなりうる老化現象であり、病気です。
他人ならともかく、身内にそこまでして隠すものなのだろうか?
父もそうですが、変にプライドが高い血族のようです。
いずれ、母は「頭がおかしくなりそうだから、行きたくない」と言い出し、その後は体調不良で行くことができなくなりました。
だから、叔母がその後どのような状態になったのか、把握していません。

伯父は、サ高住に入居する理由として
「俺も歳がいって大変になったから。」と、そればかり繰り返していたようでした。
叔母は足も悪く、母が訪ねていた頃には、ほぼ歩けない状態だったようです。
しかも、息子夫婦と同居していたのですが、どうやらうまくいっていないようでした。
伯父は、お嫁さんであるS子さんを、かなり攻撃していたようです。
今更「介護を手伝ってくれ」なんて言えるわけがありません。
何があったのか、詳しいことはわかりませんが、申し込みしていた2人部屋が空き、入居することになった、というわけです。

それから父の様子がおかしくなり始めました。
ボーッとしていることが多くなったのです。
その目はうつろで、どこを見ているのやら…

「しっかりしなさいっ!」
そんな時、母は気合いをかけていました。
もともと無口な人なので、この時何を思っていたのか、定かではありません。

でも、今思えば、この件がきっかけで、父は変わっていったように思えます。

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2018/07/25 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |